関東に本格的サーキットが誕生した
鈴鹿サーキットが日本初の本格的なサーキットとして生まれたのが1962年。富士スピードウェイがオープンしたのが1966年。船橋サーキットのオープンは1965年で、富士スピードウェイより一足早く、関東で最初の本格的サーキットとなった。
船橋サーキット開業までの経緯をみてみよう。近隣の施設として1950年8月に船橋競馬場が開場する。同年10月、競馬場の内馬場(インフィールド)にダートトラックの船橋オートレース場も開場。これが全国初のオートレース専用走路で「オートレース発祥の地」と呼ばれている。
1952年、船橋海岸の埋立地を深度約1000mまで採掘し天然ガスと温泉が湧出。これを利用して1955年に船橋ヘルスセンターがオープンする。船橋ヘルスセンターは今どきの健康ランドや温泉リゾート、レジャーランドとはスケールが異なっていたようだ。
さまざまな温泉施設に加え、ボウリング場、卓球場、ゲームセンター、プール、宿泊施設、美術館、ローラースケート場、アイススケート場、遊園地、野球場、テニスコート、人工芝スキー場、人工ビーチ、大劇場などを併設していた。
ここまでは驚くほどではないかもしれないが、例えば大劇場には、美空ひばり、ザ・タイガース、都はるみ、藤圭子(=宇多田ヒカルの母親です)、五木ひろし、キャンディーズといった当時のスターが登場している。「8時だョ!全員集合」の公開収録なども行なわれていた。
さらに、ゴルフ場、水上スキー、遊覧船、遊覧飛行などもあり、遊覧飛行専用の飛行場(=船橋飛行場)も持っていた。そしてサーキット(=船橋サーキット)も船橋ヘルスセンターの施設の1つだ。サーキットのように短命で終わった施設もあるので、すべての施設を同時並行で保有していたわけではないが、現在では想像できないスケール感だった。船橋ヘルスセンター……おそるべし。
1961年の航空写真。船橋競馬場の内馬場に船橋オート。その西側に船橋ヘルスセンター。遊覧飛行用の船橋飛行場も完成している(国土地理院の空中写真閲覧サービスを加工して掲載)船橋ヘルスセンターがその歴史の中で開発したさまざまなレジャー施設の1つが船橋サーキットだ。元F1ドライバーのピエロ・タルッフィにコース設計を依頼……、ピエロ・タルッフィって誰? 1950年にアルファ ロメオでF1デビュー。フェラーリ、メルセデスに在席し、F1優勝回数は1回。日本との関わりは深く、1964年に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリで名誉総監督として運営をアドバイス。生沢徹など日本人レーサーにドライビングテクニックを教えたという。
鈴鹿サーキット完成から3年、東京オリンピックの翌年となる1965年7月に関東で初の本格的サーキット、船橋サーキットがオープンした。
1963年の航空写真。南側の埋め立てが始まっている(国土地理院の空中写真閲覧サービスを加工して掲載)1966年の航空写真。船橋サーキットが完成。船橋飛行場はサーキットの東側に移された(国土地理院の空中写真閲覧サービスを加工して掲載)